なぜこんなことになったのか。
考えてみても一向に答えは出ない。
ただ一つわかるのは、己の二人目の師が一人目に負けず劣らずの人でなしだということだけだ。




夜虹蝶奇譚 連作番外3―ギヤマンチャイルド―





なぜこんなことになったのか。
頭痛しかしないような光景から目を逸らしたい衝動を堪え、ハクは事態を好転させる術を探して頭を回転させる。
目の前には、ドレスやらタキシードを身に纏った男女。先程までは談笑の声が漏れ聞こえていたが、師匠に放り込まれたハクが現れたことで一気に場が静まった。
青やら銀やら、煌びやかな瞳がジッとこちらを見ている。
これはまずい。
何と言っても、ハクは彼らの――海向うの言語はまだ習得できていない。
大陸の文字と言語は不便なく使える程度にまで知っているが、まさか通じはしないだろう。
かといって故郷の言葉など、もっと無理がある。何せ、自分の故郷といえば極東の小さな島国だ。存在すら知られていない可能性が大である。
師二人をして『神経が図太い』と言わしめる彼も、さすがに冷や汗を流して硬直するしかなかった。
とりあえず挨拶くらいするべきだろうか。しかし、この特殊な場で普通の挨拶をしても大丈夫なのか。
そんな不安を抱くほどに、ここに集った人間は一線を超えていた。

「君、もしかして『団長』が最近採用したっていう人かい?」

と、涼やかな声が響いた。しかも、ありえないだろうと真っ先に可能性から除外した故郷の言葉で。
声をした方に顔を向けると、優雅な空間に相応しい柔らかい雰囲気の優男が一人。
軽くティーカップを掲げる指は細いが、地味な目や髪の色からして同郷である可能性はかなり高いと思われた。
だが、夜色の燕尾服と真っ白な手袋を違和感なく着こなすあたり、随分とこの国に馴染んでいるようだ。年齢は不詳。自分より年下と言われても納得できるし、遥かに年上と言われても頷いてしまいそうな――そんな不思議な雰囲気を持っている男だった。
とりあえず、男の問いに頷く。『団長』はハクの師匠の持つ名の一つだった。本名は知らない。
満足そうに笑った男は、海向うの言葉で周囲の男女に何事かを話す。
おそらくは自分の素性を説明してくれたのだろう。警戒と好奇の視線が一つ、二つと外れていく。
「とりあえず、突っ立ってないで座りなよ」
「…どうも」
椅子を引いた男に促され、ハクは彼の隣に腰を下ろした。
「さっきは助かった」
「どういたしまして。まさか、久しぶりに故郷の言葉を使うことになるとは思わなかったよ」
「どうして俺が同郷だと?」
「何となく、だよ。――ごめん、嘘。団長が最近、オレと同郷の変わり種を弟子にしたって聞いたからさ」
快活に笑い、男はポットからお茶を淹れるとハクの前に置いた。硝子のカップを透いて見える色は、晴れた日の海のような鮮やかな水色。
「変わった色だな」
「ただのハーブティーだよ。飲んでごらん」
口をつけると、想像とは違った薬湯のような味が広がった。思わず男の方を見やると、彼のカップにはこれまた食欲が減退するような紫色の液体が入っていた。
ハクの視線に気づいたのだろう。男はカップから口を離して微笑む。
「これも同じ種類だよ。このハーブティーは時間をおくことで色が変化するのが特徴でね」
「はぁ…」
気の無い返事を返すと、男はカップをおいて「ところで」と襟を正した。
「オレは君のことを何て呼べば良いのかな?」
「…ああ、すまん」
そういえば、まだ名乗っていなかった。
「ハクだ」
「ふぅん…」
男は、笑みを崩さぬまま無遠慮にジロジロとハクの顔や全身を眺めた。だが、不意に大きく頷く。
「よろしい。『団長』の前で本当の名前を名乗らぬのは、非常によろしいことだ」
その言葉に、ドキリとした。自分自身では捨てたつもりだが、やはり本質というものは『視える』らしい。
「…師匠に言うのか?」
警戒しながら問えば、予想に反してひょいと肩をすくめられる。
「いーや。彼とオレは古い付き合いだけど、同類と思われるのは御免だね」
「はぁ」
ずい、と男が顔を近づけてきた。鼻先がつきそうな距離で、男はにんまりと笑う。まるで絵本に出てきた化け猫のような笑みだ。そうすると柔和な雰囲気が一変し、男の周りを妖しく変容させた。
まるでカップの中のハーブティーのように己の色を変えた男は、紅い唇を開く。
「忠告してあげよう。これからも『団長』に本当の名前は教えない方が良い。あのパレードから抜け出せなくなるからね」
「パレード?」
「おっと失礼。彼はサーカスと言っていたね」
おどけたように言い直し、男は右手を差し出した。
「脱線したけど、オレの名は盛正(もりまさ)平外(ひょうが)。一応、『団長』と同じく錬金の徒だ」
「となると、ここはやっぱり錬金術師の集いか?」
出された右手を握りながら尋ねると、男――平外はおや、と目を瞠った。
「知らずに来たのかい? てっきり君も錬金術師だと思ったんだけどね」
「残念ながら、俺はあんまりそっちは真面目に学んでなくてね。この茶会にいたっては、師匠にいきなり襟首引っ掴まれて放り込まれた」
「説明とかは?」
「いや何も。突然『そうだ、君をみんなに紹介してあげよう!』とか言って、無理矢理引きずってこられた」
心なしか平外の声が低くなった。
「――ちなみに本人は?」
「『急用を思い出したから後はよろしくぅ!』って俺をドアの内側に蹴り入れて逃げた」
ハクがそう告げた途端、平外の目が燃えるような深紅に染まった。同時に、背筋を凍らせるような妖気がその身から立ち上る。「あの野郎、逃げたな…」と、地を這うような低音でぼそりと告げる言葉が恐ろしい。
「あー……っと? 盛正、サン?」
恐る恐る声をかければ、一瞬前のおどろおどろしい雰囲気が嘘のように消え失せた。深く息を吐き、瞑想するように目をつむり、開く。その時にはすでに、先程見た深紅の光はない。 代わりに浮かんだのは、空々しいまでの朗らかな笑顔だった。
「ああ、すまないね。ちょっとあのクソバカに腹が立って」
「そ、そうか」
すでに平外の瞳の色はすっかり元の黒色に戻っている。カップを傾けた彼は「ふむ」と短く思案した後に口を開いた。
「しかし、そうすると困ったね。君は何も知らずにこんな場所に来てしまったのか」
「まぁ、そうなるな」
「それは、非常に残念ながらご愁傷様と言わざるを得ないね」
奇妙に不気味な言い回し。ハクが疑問を口に出す前に、平外は「見たまえ」とカップを持った手で前方を指し示した。
彼に示された方向には、2人が座るのと同じような白いクロスを敷かれたテーブル。囲んでいるのは、やはり上流階級のような恰好をした5人の男女。
明るい声と表情で話す彼らの中心に置かれたガラス製のティーポットには、異常に赤い紅茶。中には、茶葉が黒い影を落として淀んでいる。
「……?」
いや、しかし少し色が濃過ぎないだろうか。それに、注ぎ口が随分と長い。あれではまるで――。
「よく見てごらん」
違和感に眉を寄せるハクに、平外がソッと囁く。
「………っ」
気づいた瞬間、込み上げた吐き気に口元を手で覆う。

『蒸留器』の中に丸まっていたのは、小さな胎児だった。

茶葉だと思っていたのは、血の塊が淀んだものだ。まるで母親の胎内にいるような恰好で、硝子の器には小さな小さな赤子が浮かんでいた。
「ああ、やっぱり知らなかったんだね」
元から悪い顔色をさらに白くするハクに、平外は哀れみの籠った視線を向けた。
「あれは……何だ?」
「ホムンクルス、というやつだよ。まだ未完成だけど、レトルト―――あの蒸留器のことだけどね。あの中にいるのは、歴とした生命体だ」
促され、改めて周りを見るとどのテーブルも似たようなことをしていた。囲んでいるのはビーカーだったりシャーレだったりと様々だが、中には必ずあの忌まわしい小人が入っている。どれも意思は持っていないのか、うごうごと昆虫じみた不気味な蠢動を繰り返していた。一度気づいてしまえば、どうして今まで気が付かなかったのかと不思議に思うほどに、その赤子達は異常な存在感を放っていた。

「今日は、あれらの品評会なんだ。その後は意見交換会」
「じゃあ、あんたもああいうのを作ってるってのか?」
ハクの問いに、平外はハーブティーを口に含んだ。それを飲み干してから、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「いいや」
皮肉っぽい笑みを浮かべてカップをソーサーに戻し、平外は指を組む。
「俺と『団長』はホムンクルスに興味がなくてね単なる意見番として呼ばれたみたいなもんさ」
「そう、か」
「それにね、ハク。頭の隅にでも置いておくと良いけど――これから、魔術の時代は終わる」
突然の宣言。眼を見開くハクの前で、平外はにこりと笑う。
「時代は移ろう。国も、技術も、文字も、嗜好も。…もちろん魔術も。そのハーブティーと同じさ」
スッと平外がハクのカップに残っていた紅茶を指さす。
さっきまで鮮やかな空水色をしていた液体は、いつの間にか深い青紫の色に変化していた。
「言っただろう。このお茶は時間で変化するって」
くすっと笑って平外は話の軌道を修正する。
「人も同じだ。人はいつまでも夜を恐れない、光を自ら作り出し、闇を駆逐する」
身を乗り出して更に腕を伸ばした平外は、テーブルの中央に盛られていたレモンを一切れ手に取った。
「酸いのは平気?」
頷くと、彼は宵闇色の紅茶にレモンを絞り入れた。きっかり三滴。
すると、またしても器の中で紅茶は色を変える。
春の息吹を思い出させる、透き通った桜色。

「永遠なんてない。人間は決して神になれない。零から新しい命は作ることが出来ない。技術的な問題ではなく、理性の問題としてね」

先程の話の続きだろうか。平外の言葉に、ハクは我に返った。
桜色の液体を見下ろすハクの感情を見透かすように、平外は目を細める。
「いつしか、人はたくさんの不思議を解明するだろう。けれど、全てではない」
己の紅茶も同じように桜色に染め上げると、平外は一息にそれを飲み干した。

「人が理性よりも知識を優先したら……そうしたら、その時、オレ達は真実の先に何を求めるのだろうね?」

ガラスの中の小人は、何も答えない。ただ揺ら揺らとゆらめくのみ。








ツイッターにて募集した『#いいねした人を自分の世界観でキャラ化する』タグより。
第3作目は、GDGD企画でもご一緒させて頂いているコウさんをキャラ化したものになります。
なお、私がツイッターでお作りしたキャラさんは
『海向こうの国に移住した魔術師にして学者。天狗と人間の間に生まれた半妖。滅多にないが、怒ると目が真紅に染まる。怒ると怖い。
いつか魔術は秘匿の対象となり、代わりに人の世の学問が発達すると予言している。
けっこうお茶目。』
です。名前は実在した学者、平賀源内より。彼が外海に出たということはないのですが、そこはそれ。あくまでモデルなので良いかなと。





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